隙だらけ 好きだらけ日記~映像 写真 文学 そして風景~

けさの毎日新聞。去年8月19日に、横浜鶴見区のデイサービス施設で男性が行方不明になり、21日から3度に渡って中野の公園で保護される可能性があったにもかかわらず、死亡した事件について詳細に伝えていた。去年、新聞協会賞を受賞した、認知症のひとの行方不明問題の続編にあたる。この事件、わからないことが多すぎる。当日は3日続きの猛暑日。なぜ、警察や消防は、男性をほとんどそのままにして離れてしまったのか。死亡してから、家族に情報が渡るまでなぜ半年もかかってしまったのか。学生たちとともに、調べて、映像によって検証し、こうした悲劇が繰り返されないような教訓が導けないだろうか。

ブログを書くのは3ヶ月ぶりだ。ようやく2冊の原稿が終わりに近づいたので、また復帰することにしたい。

ケネディ大統領が暗殺されたのは、1963年11月22日、土曜日。私が9歳の時だった。日本時間では、勤労感謝の日の朝。私は、なぜか大事なひとが亡くなったという夢を見て、泣きはらした顔をして、台所まで言った。すると、母は、ケネディが死んだと言った。

テレビの画面は、重々しい様子で、「悲しいニュースをお伝えしなければなりません」と何度も言っていた。その日は、日本とアメリカの間で、初めての衛生生中継を行うことになっていた。そこに飛び込んできたのが、とんでもないニュースだったのだ。

その後も私は、だれかがなくなるということを予感しることが、幾度となくあった。なぜだかわからない。

先日、JFK暗殺をテーマにした映画を見に行った。トム・ハンクスが製作総指揮をしたという『パークランド』だ。これまで、JFKのことで言えば、オリバー・ストーン監督で、ケビン・コスナー主演の『JFK』が最も有名だ。ストーン監督は、謀略によって殺害されたという立場をとり、大きな反響を呼んだ。

さて、今回の『パークランド』はどうだろう。映画の舞台は、ケネディが運び込まれたパークランド病院が中心になる。救命にあたった医師、単独の実行犯とされたリー・オズワルドの兄、当時最新鋭の8ミリで撮影したザプルーダーといったひとが登場する。

ケネディ事件については、これまで手に入る限りの本は目を通してきたが、いくつも教えられるところがあった。まず、医療スタッフである。医師や看護師は、ほんとうに何も知らされず、いきなり、大統領の救命に追われることになった。銃で撃たれたのは12時半。死亡の確認が13時。運び込まれたときは、まだ心臓はかろうじて動いていたが、ついに蘇生することはなかった。気管に挿管したとき、誤って喉に大きな傷を作り、弾の入口なのか、出口なのかわからなくなったとされるが、そんなことはなかったように思う。映像では、頭の様子は、はっきり見えない。ただ、頭の右側を中心におびただしい出血が映し出される。ジャクリーヌ夫人が、握りしめていた、夫の脳の一部と頭蓋骨の破片を、医師に差し出す。やっぱりそうだったんだと思う。

一番驚いたのは、オズワルドの兄だ。名前を変えることなく、80歳を過ぎて今も存命である。兄は、実に冷静かつ知的なひとだった。母はパニックを起こし、当の弟は何が起きたのかわからないうちに、犯人にさせられ、ダラス市警察の地下で、移送の途中、ジャック・ルビーという男に射殺されてしまう。しかし、状況を見る限り、彼が教科書ビルの窓から、後ろ姿の大統領を狙撃したなどということは、到底考えられない。

そして、暗殺の現場を映像で捉えた、ザプルーダーさん。彼は激しく動揺する。シークレットサービスや、ライフの編集者が、なぜかすぐさま、フィルムの存在を嗅ぎつけ、入手しようとする。ザプルーダー氏については、毀誉褒貶があるが、暗殺がどのように行われたのかを知る、最大の証拠であることは間違いない。政府に提供したとき、改ざんがなされたというが、たぶんそうなのだと思う。

なぜなら、今、ネットでも見ることができる、ザプルーダーフィルムは、奇妙なところから始まり、コマが飛んでいるようにも見える。この映像が公開されたとき、全米の70%のひとが、ジョンソン大統領がまとめさせたウォーレン報告書を信用しなくなったというが、さもありなんと思う。

映像を見る限り、どう考えても、前から撃たれている。銃弾は少なくとも、5~6発だと言われる。しかし、ウォーレン報告では3発。最初は外れ、次の1発がケネディとコナリー知事リーチ時を同時に傷つけ、3発目が大統領の致命傷になったという。しかし、それではおかしいことが多すぎる。

今回の映画では、銃弾がやってきた方向や数について、深入りはしない。ザプルーダー氏が主人公のひとりなのに、実際のフィルムはまともに見せない。これは、政府の隠蔽や改ざんへの、密かな抗議のように思える。観客は、本来見せるべき映像は、失われたということに気が付く。

いま、私が大学で担当する『映像アーカイブ論』では、ケネディ暗殺を2回にわたって紹介することにしているが、陰謀の存在について、どの程度触れるのか、悩ましい。

暗殺の謎が解明されないなどということは、不正義がまかり通っているということだ。オズワルドが冤罪であったら、どうなのだろう。こうした事件においては、かならず、真実を知るひとがいるはずなのだ。じれったく、くやしく、身の置き場がない。

 

きょうは、武蔵大学正門前のギャラリー古藤で、現代美術家の秋山祐徳太子さんと対談をさせていただいた。

秋山さんといえば、1975年と1979年の2回、東京都知事選挙に立候補。そのユニークな選挙活動で一躍有名になった。75年と言えば、美濃部対石原の対決で、美濃部が勝った。秋山さんは、赤尾敏の次の5位だった。79年は、鈴木俊一対太田薫。秋山さんは4000票余りで7位だった。ちなみに8位は、これも有名な東郷健さんだった。

秋山さんといえば、グリコ、のちのダリコや、路上パフォーマンスで知られるが、ブリキの皇帝や男爵のシリーズは、すばらしい。

トークイベントに先立って、かつてNHKで放送された「一点中継・つくる」で秋山さんをとりあげた回を、内輪で見た。ブリキ、正確にはトタンの板を折り曲げ、溶接し、ハンダで装飾を施した、独特のオブジェが完成するまでを、実に丁寧に追った作品だった。これをつくったディレクターはただものではない。聞けば、あの川竹文夫さんなのだった。やっぱり・・・。

川竹さんとは、かつて、『日本再発見』というユニークな文化・教養番組のチームにいたことがある。わたしは、日本の紋章をテーマに番組をつくったが、川竹さんからは、もっと極めることができると言って叱られた覚えがある。

秋山さんがブリキのオブジェをつくるようになったのは、武蔵野美術大学の卒業制作以来。そのときは、長さ2㍍のブリキのバッタを作り、首席になった。

ブリキは不思議な素材だ。板を切り、丸め、ハンダでつなぎあわせる。なかには空気をはらんでいる。亡くなった種村季弘さんは、秋山さんの作品を称して、内部に風をはらんでいると言った。あざやかな評だと思う。そうなのだ。中に風が通り抜けるような感じが、たしかにある。

おもえば、秋山さんの路上のパフォーマンスも、街に風を起こし、風が通り抜けるようなアートだった。

秋山さんが育ったのは、新富町。花街と路地と、運河。そこに駄菓子屋もあればブリキ屋もあった。秋山さんの母は、お汁粉屋をやって、秋山さんを育てた。

大阪万博に反対して、京大のキャンパスの屋上で全裸になり、逮捕されたこともあれば、虚無僧の編み笠をかぶってバイクに乗り、警察に叱られたこともあった。しかし、どれもこれも、考えてみれば、世の中にさざ波を立てるという意味で一貫していた。

秋山さんの一貫した人生。いきあたりばったりのように見えながら、芯が通っているなんて、なんとかっこいいことだろう。

秋山さん 座談も文章もうまい。

ジャコモ・マンズーを連想する

ここのところ毎日、アメリカのシンガー、ロドリゲスにはまっている。I wonder.とか、思わず口ずさんでいる。

ロドリゲスは、一昨年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門で賞を得て以来、一躍有名になった。

1970年代のデトロイト。自動車不況の町だ。街の淋しいバーで歌っていたミュージシャンのロドリゲスは、大物のプロデューサーに気に入られ、アルバムを発表したが、世の中の反応は皆無だった。アメリカで売り上げは、わずか6枚ともいわれている。そして、その後は、注目されることなく、街の便利屋さんとして黙々と働いてきた。すこし、画家のガタロさんを連想する。

ところが、はるか遠く、南アフリカでは、とんでもないことが起こっていた。ローリングストーンズより、ボブディランよりも、ロドリゲスは有名なミュージシャンだった。海賊盤は、南アフリカのひとびとを20以上にわたって熱狂させた。

南アフリカでは、ロドリゲスは死んだと思われていた。しかし、彼は生きていた。

ケープタウンでのコンサート。とんでもないことが起きた。I wonder のイントロのベースが演奏される。そこに本物のロドリゲスがあらわれる。観客は感動の涙に震える・・・。

これは実話だ。人間ってなんておもしろいのだろう。なんてふしぎなことが起きるんだろう。

ところで、ロドリゲスの歌の中で、陽水の「最後のニュース」と似たものがある。もちろん、ロドリゲスが早い。シンクロニシティーなのか、影響を受けたのか。

先日、作家・佐藤泰志さんのドキュメンタリー映画を見た。「きみの鳥はうたえる」をはじめ、5回も芥川賞の候補になりながら、ついに受賞はかなわず、41歳で自死した佐藤。その人生が丁寧に描かれていた。

映画は、文芸春秋での芥川賞の銓衡委員会でのやりとりが軸になっている。吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎といった第三の新人や、瀧井孝作、中村光夫、そして開高健らが意見を戦わせる。なかでも、開高は、いつも佐藤の作品を推すことはなく、辛口だった。佐藤が選にもれた時期は、該当者なしが、続くと言う異例の時期であった。もし、開高らが、もう少し寛大であったら、佐藤の人生は、まったく変わっていたのではないかと、想像する。

「海炭市叙景」は、最後の連作にあたる。何度読んでも胸に迫る。好きな作品だ。文章は抜群にうまい。しかし、ときどき書きすぎて、それが甘さにつながることがある。サービス精神が旺盛というか、ここまで書かないとわかってもらえないのではないかという、がんばりが随所にみえる。

それを開高らは嫌ったのではないかと想像する。小説って難しい。でも、それに一生をかけるって、やっぱりすごいし、気高いことだと思う。

きょう、件のSTAP細胞をめぐる騒動の中心人物、小保方晴子ユニットリーダーの記者会見が行われた。

心身ともに憔悴し、前日まで入院していたという彼女は、およそ3時間におよぶ記者とのやりとりをしのいだ。科学、組織論、指導にあたった研究者との噂まで、質問は多岐に渡った。時折、涙をぬぐうこともあったが、泣き崩れたり、言葉が出てこないということはなかった。

ネットで状況を見ていたが、小保方さんは、あまりのストレスの中で、感情を表出することもできないようだった。気丈というより、信じられないほどのプレッシャーの中で、冷静に振舞うしか道はなかったのだと思う。(それだけうつ状態が重症だともいえる・・・。)

彼女の話の中で、実験を記録したノートは2冊しかなかったのではなかったこと。第三者による再現実験についても、すでに成功していること、200ケースのSTAP細胞を確認し、1000枚以上の画像、とくに胎児の標本まであることが語られた。

小保方さんが話したことは、虚偽とは思えないが、どうだろうか。だとすれば、小保方さんのミスは、ネーチャー論文の作成にあたって、画像の取り違えという不適切な行為はあったものの、それ以上のものではないことになる。

そもそも、ネットでの批判・検証から端を発し、理研の屋台骨を揺るがすという事態にまでなった今回の騒動だが、わたしの印象では、小保方さんが嘘を語っているようには思えなかった。

だとしたら、この騒ぎはいったいなんだったのか。全貌がわからないので、軽々しいことは言うべきではないが、メディアの暴走を抜きには語れないように思う。とくに理研が示した過剰とも言える厳しい言葉は、メディアが追い込まなければ発せられることはなかったように思うのだ。

きょうの記者会見でも、記者たちは、理研vs小保方の対決という構図を、ことさら強調しようとしていた。文科省へ覚えがめでたいようにするため、小保方さんの発表を急がせたなどという推論に対して、小保方さんに感想を求めるなど、語るに落ちる。

小保方さんは、何度か、「恐ろしかった」という言葉を発した。これは理研に対してではない。メディアに対してだ。割烹着やピンクの実験室は、記者会見直前にしつらえたものではなく、3年前からの彼女のスタイルだったことがわかってほっとした。同時に、メディアがやらせと決めつけたことの罪深さを思った。

いずれにしても、実験の精緻なプロトコルを発信し、追試がどんどん可能になるのであれば、彼女を襲ったバッシングも止むのではないか。わたしは甘いのだろうか。

小保方さんの返事はきょうなされた。次の出番はメディアの側だと思う。どうかまっとうな議論が、きょうのテレビ局各社のスタジオでなされることを、切に願う。

きのうは江古田映画祭の12日目。15日間は途方もなく長いと思っていたが、ようやく終わりが見えてきた。

ちょうど、東日本大震災が起きた年に、岩波ホールで見た、坂田雅子監督の『沈黙の春を生きて』を上映する。これは、名作『花はどこへ行った』の続編だ。

ベトナム戦争で使われた枯葉剤。そのなかに猛毒のダイオキシンが含まれていた。枯葉剤を散布した米軍兵士の子ども、ベトナムの子どもたちのなかに、障がいや病気をもって生まれてきた子が多い。有名なベトちゃん、ドクちゃんも、そうだ。

映画は静謐ななかに、芯の強さを感じる。

坂田監督には、2年前、第五福竜丸展示館で初めてお目にかかった。ちょうど、ETV特集で、大石又七さんと大江健三郎さんの対談を放送したばかりだった。

映画は、きりっとしていて、崇高な雰囲気が漂う。編集はユンカーマンさん。次回作も楽しみだ。

坂田監督 原稿をつくってのぞまれた。

 

 

 

久しぶりにブログを更新することにする。フェイスブックにのめり込み、なかなかブログに向き合えないでいた。その間、かつての職場NHKの新会長、籾井勝人氏の就任の記者会見の騒動が起き、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌と、自分でもびっくりするほどの露出度で、NHKのありようについて語ってきた。

そして昨日。江古田映画祭で、元NHKアナウンサーの堀潤さんが監督を務めた『変身』の上映の後、福島の現状などに触れた後、会場からの質問に答えるかたちで、またNHK問題について言及した。

質問が何往復か繰り返された後、さらに続けようとしたとき、お客様の中から手が挙がった。

きょうは3年目の3月11日です。そんな大事な日にNHKのことなんて、どうでもいい。だいいち、NHKなんて信用しないし、見ることもない。

厳しい意見だった。それまで、ふにゃふにゃNHKを批判していたわが身に、冷厳な事実を突きつけられた気がした。

たしかにそうかもしれない。会場の温かい雰囲気に甘えて、どこかNHKを擁護したり、ある種のNHKへの愛社精神が顔をのぞかせたのだと思う。みぐるしいことだ。

思えば、入社以来、NHKに対しての風当たりは、ずっときつかったような気がする。もちろん、褒めてもらえるときもなかったわけではないが、公の場での手厳しい指摘には、何度も出会ってきた。それが当然のことなのだと思う。しかし、時々、そうしたことを忘れて、鼻持ちならない傲慢さが顔を出すのだと思う。

この春で、NHKを去ってから6年になる。にもかかわらず、わたしはほんとうに成長というものがない。

江古田映画祭は、きのうが11日目。おかげさまで、リピーターの方が増え、安定してきた。それにしても、ほぼ連日、トークイベントにおつきあいするのはへばる。でも、田島さん・大崎さんのギャラリー古藤のお二人の方が、はるかにお疲れのことだと思う。

もうちょっとだ。がんばろう。

若干 太ったかも

日本は、6000あまりの島で成り立っている。そのうちひとが暮らしているのは400の島。5000人を超えるひとがいるところには、本屋さんがあるのだという。

朴順梨さんは、本屋大賞のフリーペーパー『LOVE書店!』の連載『離島の本屋』のシリーズを8年にわたってつづけ、このたび一冊の本にまとめた。

北海道の礼文島から沖縄県の北大東島まで、22の書店が紹介されている。これが面白い。

周防大島では、島出身の民俗学者、宮本常一の本が並び、奄美の本屋さんには、島尾敏雄の本がたくさん揃う。いまや、アマゾンで買えるものであっても、離島の本屋さんに、全国から、ゆかりの作家の本の注文がはいる。なんとも不思議だ。

本はどこで買ってもおなじようなものだが、一部のひとにとっては、そうではないようだ。わたしにも、若干そうした傾向がある。山形の本屋さんで、阿部和重を買い、札幌の本屋さんで、知里幸恵を買う。那覇の本屋さんで、山之口獏さんを買い、津軽の本屋さんで太宰治を買いたくなるのだ。

一昨年は、ゼミの春野さんと、町の本屋さんを歩き、卒業制作をしあげた。町の本屋さんのなかで、元気なところには、さまざまな工夫がある。なかでも、わたしが住む、西荻窪には、ほんとうに工夫を凝らした店が多い。

杉並区の図書館が買わなかった本を、わざわざ並べる信愛書店。わたしのお気に入りの音羽館。絵ハガキや写真といった紙ものに強いなずな屋。世間話が大好きな花鳥風月。あゆみブックスの系統の颯爽堂。駅の間近に引っ越してよみがえった今野書店などなど・・・。きりがない。

思えば、故郷・帝塚山の東谷書店が店をたたんで、もう30年になる。東谷書店は、天王寺の旭屋書店やユーゴー書店、住吉公園の後藤書店に比べて小さかった。でも、つけがきいたので、ただただ毎日、通い詰めた。新しい本がはいると、すぐ気が付き、手に取った。

本屋さんは、世界の窓だった。こどものころは、あたらしい本のページをめくるたびに、世界が広がる気がした。

いまは、あのころのような切実さも、わくわくした感じもない。なんと堕落したことか。

離島の本屋さんは、島のひとびとにとって、かけがえのない空間だ。ほかの商売とは全く違う。どの本屋さんも、どうかつぶれないでいてください。

写真もすばらしい。

 

今年から、大阪・住吉高校の同窓会報のなかの、ビッグな同窓生へのインタビューをさせていただくことになった。わたしは、ただの無知なおじさんだが、好奇心だけは負けないということから、引き受けることになった。

第一回のお相手は、素粒子物理学実験の重鎮。きのうから、その準備に追われている。素粒子物理学といっても、実はよくわかっていない。

わたしの乏しい経験では、岐阜県の神岡鉱山にあるスーパーカミオカンデ(当時は、カミオカンデ)の取材をしたとき、大マゼラン星雲の超新星爆発の際に、宇宙空間に飛び散ったニュートリノを、観測したことを調べたときに、勉強したぐらいだ。

地球の反対側からニュートリノが飛んできて、鉱山のなかにある巨大タンクの水に衝突。そこで、青白いチェレンコフの光を、光電子増倍管が感知する・・・。その途方もない物語に、あたまがくらくらした。

この世紀の大発見は、池澤夏樹さんの小説『スティルライフ』のなかにも、酒場でのエピソードとして描かれている。

最近の素粒子物理学の大きな話題で言えば、ヒッグス粒子や、ニュートリノは光よりも速いかどうかといった、とっつきやすいものだ。

素粒子とは、世界を構成する、最も小さな単位だ。分子から原子。原子から原子核とレプトン。原子核から陽子と中性子。アップクオークとダウンクオークと、小さくなっていく。つまり、最小単位は、クオークとレプトンになる。これが素粒子だ。

クオークは6種類。レプトンも6種類。世界は、12種類のなぞの物質でできている。

この素粒子は、宇宙とともに変化してきた。そして、宇宙が生まれる前には、なにもなかった。素粒子の変化をもたらすものは、宇宙から降り注ぐ高エネルギーの宇宙線。それを人工的につくりだすのが、加速器というものだ。

わたしはこれまで、加速器とは、粒子と粒子を両方から走らせ、激突させるものと思ってきたが、そうとばかりは言えない。

東海村のJ-PARKなどは、とまっている「なにか」に、加速させた陽子をぶつけるのだという。精度は、地球から天王星の距離であっても、1ナノメートルの誤差もないのだそうだ。ひとつひとつのことが、気が遠くなる。

こうした世界は、理論の検証にとどまらない。加速器をつかって、あたらしい蓄電池や、コンピューター、顕微鏡などの開発にもつながるようだ。

かつて、数学の広中平祐さんのフィールズ賞、福井謙一さんのノーベル賞の受賞のときは、番組をつくったことがあったが、チンプンカンプンで七転八倒した。今回もおなじ。

そんななかで、救世主が現れた。秋本祐希さんの『素粒子の世界』(洋泉社)。秋本さんは、素粒子物理学の研究者。イラストも文章も解りやすい。

秋本さんの助けを借りて、きちんとしたインタビューができますように。わたしがお粗末なのは変わらないが、相手の方のよさを殺さないようにこころがけたい。

ありがたい入門書があらわれた