隙だらけ 好きだらけ日記~映像 写真 文学 そして風景~

2011年の日本エッセイストクラブ賞を受賞した、田中伸尚さんの『大逆事件』(岩波書店)をようやく読んだ。同じエッセイストクラブ賞の候補に連ねてもらったことが、あまりに場違いで、大学生と幼稚園児ほどの違いを感じた。田中さんの作品では、忠魂碑裁判に身を投じた神坂忠を描いた『反忠』も素晴らしかったが、『大逆事件』は畢生のノンフィクションだ。何度も怒りに震え、気高い行為に感動し、わが身を顧みず信念を貫く姿に落涙した。

田中さんの取材の旅は、岡山から始まり、熊野、熊本、四万十、東京と続く。それは、かつて社会主義者として生き残った堺利彦が1か月半にわたって続けた、受難者遺族への鎮魂の旅と重なる。熊野・岡山と、田中さんが歩く中で、「大逆事件」をタブー視する風潮が、100年経った今も脈々と続いていることに、驚愕する。いまだに墓石すら建てられない遺族が多い。この国は、何も変わっていないのではないか、そんな思いに襲われる。

幸徳秋水・大石誠之助・高木顕明・森近運平・管野すが子・・・彼ら12人は、すべて無実であった。爆弾で天皇を殺害するという計画には、そもそも実体はなく、天皇に殺意をいだくこともなかった。幸徳は、伊勢神宮に参拝し、天皇への崇敬の念を抱くひとでもあった。高木顕明は、浄土真宗の僧侶として、部落差別と闘い、日露戦争の開戦に反対した。そもそも、主犯とされた多くは、非戦論者であった。つまり、たとえ、国家の存亡がかかっていても、武力を行使することに反対するひとたちであった。武力行使に反対する以上、当然、天皇殺害などいう恐ろしいことにも、距離をおく冷静かつ知的なひとたちであった。

いま、平沼赳夫という政治家がいるようだが、その養父にあたる平沼騏一郎は、検察の手柄を立て、自身の出世のために「大逆事件」なるフィクションをねつ造した。今や、事件は100%でっちあげだとされている。しかし、再審請求はことごとく退けられ、国家による名誉回復、無罪判決はいまだになされていない。不正義は不正義のままに放置されている。

そもそも暗殺行為なるものと、近いのは、個人を熱烈に崇拝したり、愛国的意識の高いひとたちの間で発生する。すべての政府なるものに懐疑的なアナキスト、高木顕明のような博愛的な宗教者には、暴力はまったく縁のない世界である。彼らは、相互扶助が行き届き、自由で平等で、戦争のない世界を訴えていたにすぎない。しかし、死刑は執行された。メディアは彼らを、政府の転覆をねらう、恐ろしい暴力主義者として、ことさら悪辣に描いた。一方、死刑にならなかったひとびともおり、メディアは天皇のご慈悲として、賞賛した。「死刑」と「減刑」、そのどちらも間違っていたが、そこに言及するメディアは皆無であった。

ただ、例外もなくはなかった。徳富蘆花は、一高生の河上丈太郎(のちの社会党委員長)らに頼まれて、「謀反論」という講演を行った。そこで、蘆花は、足尾騒動以降の政府の態度を批判した。そして、この事件に対して、ひとりの宗教者も声を挙げないのはおかしいと言った。破門したり、僧籍をはく奪するとは、何たることかと叫んだ。最後に、蘆花は、「諸君、自ら謀反人となることを、恐れてはならぬ」と締めくくった。講演を依頼した河上丈太郎は、一生に二度とないような大講演だったと、一生その時の興奮を忘れなかった。その時の一高生のなかには、後に「横浜事件」で弾圧される、細川嘉禄六がいた。

去年、私は第5福竜丸展示館で、大石又七さんと対談をさせていただいたが、客席には、30年近く前に取材させていただいた方の娘さんがいらっしゃっていた。その方からいただいた手紙のなかには、祖父が「横浜事件」に関わったと書いてあった。こうした究極の言論弾圧・思想弾圧の事件の関係者が、すぐ近くにおられることに、こころから驚いた。

当時の言論人で、「大逆事件」について批判したのは、評論家・三宅雪嶺ぐらいだと、田中さんはいう。三宅は、講演会の場で、思想弾圧と裁判の非公開を痛罵し、会場から「雪嶺博士万歳!」と喝さいを浴びた。だとすれば、当時でさえも、庶民のもやもやした感覚の方が正常で、メディアは、弾圧のお先棒を担いでいたことになる。ちなみに当時の一高の校長は、新渡戸稲造。なんと、太っ腹な校長だろう。学問と教育の現場は、一にも二にも真実を追い求める府でなくてはならない。たとえ、権力の覚えがめでたくなくてもだ。

堺利彦の受難者鎮魂の旅の資金をねん出したのは、堺よりひとつ年上の岩崎秋月だった。岩崎は、京都の造り酒屋に生まれ、村長・町長を務めた名望家だった。堺は、遺族に順次会って行くが、官憲は堺を尾行し、遺族もまた危険思想の持ち主のレッテルを貼って、監視を続けた。天皇に弓を弾くという烙印。その重さは、今も変わらない。

そんななか、田中さんの行脚で浮かび上がったことが、もうひとつある。それは、どんなに白眼視されながらも、無実を信じ、名誉回復に努めたひとびとが、それぞれの地域に少なからずおられたことだ。「未曾有の大陰謀」に加担したとして、同窓会から、宗派から、「逆徒」とされたひとたちが、長い長い歳月のなかで、少しずつでも復権していくさまに、希望の光を感じる・・・。

田中さん 畢生のノンフィクション